揺れる監査法人 誕生半世紀の岐路(4)

会計士の公務員化も一考

会計不祥事が発生するたびに、会計士が顧客から報酬をもらっていることが問題であるということが再認識され、公務員化するべきだという意見が出ます。もうずっと前から、この、そもそもの制度設計に対する議論はされていて、され尽くされている感もあります。

ここでの公務員化というのが、証券会社(=背後にいる投資家)から報酬を受領するという意味であるならば、個人的には賛成です。結局、誰のための企業内容開示制度なのかと言えば、結局基本的には投資家のための制度であり、監査コストも投資家が売買手数料として負担するのがリーズナブルだと思います。粉飾や虚偽表示で株価が偽りであることで損失を被るのは投資家ですから、これを防止するために監査制度というサービスを受けているというのは明らかなので、因果関係もはっきりします。この場合、監査法人はあくまで民間企業として、監査というサービス提供の結果として適正水準の報酬を受領している、と考えれば、他の規制業種で活躍しているプロフェッショナルとも同じ土台・理屈でビジネスを展開するという構図となり、「監査リスクの高い企業、工数のかかる企業には、何らかの適正な報酬決定プロセスを経てより高い報酬を支払う」という取引が成立します。これって、すごく自然な事だと思います。なお当然ですが、仮に投資家から報酬を受領することとなれば、「監査報酬を支払っているのに粉飾を見抜けなかった」点についてさらに多額の訴訟・請求が発生する可能性があります。

ただし、公務員化というのが、国家公務員化するという意味であれば、実現は難しくなります。なぜなら、監督官庁である国家が自らリスクを抱えることになるからです。つまり監査の失敗=国家の失敗という意味づけがより明確になるため、国家がリスクを回避したいということであれば、嫌煙されることになるでしょう。また監督官庁によるレビューが自己監査のようになるのも、原理的に望ましいとはいえません。

いずれにしても、監査法人の責任は依然として大きいですし、個人的にはそれ以上に株式の発行体である企業自身の責任がさらに大きくなると推測します。投資家が粉飾などにより損をしたとなれば、今よりも大きな損害賠償請求が寄せられるでしょう(役員主導で粉飾するなどというのはそもそも論外なので、役員が無限に責任を負うということであれば会社としては傷は少ないのでしょうが)。

個人的には、いつも叩かれるのが監査法人ですが、企業の牽制機能を有するであろう管理部署や経理部は何をしていたのか!?CFOは何をしていたのか!?彼らの牽制機能に限界があるとして、これを補助する・救う手立ては無いのか?というテーマをもっと議論していくべきだと考えてます。

さて話を戻して、制度変更を考えるにあたって常にたちはだかるのが「期待ギャップ」です。投資家と監査人の認識の相違ですが、これが埋まることは無いでしょう。「監査は限られた資源で実施しているため、仮に巨額の不正を見逃しても、それが発見が事実上不可能に近いことが立証された場合、誰も責任は取れませんが、それでも株式売買しますか?」などという前置きに対しては、全世界の投資家さんとしてはなかなかyesと言うことはできません。大きな粉飾など、無い前提で取引されているのです。もしあった場合には、とてつもない代償を払うことになるので、海外では監査のコストも規模も日本より遙かに大きいのでしょう。

投資家に、もっと覚悟を問う必要があります。

監査を厳格化するというサービスを受けたいなら、今の日本の制度では限界があるのが現実です。それは発行体から監査人に報酬を支払うというおかしな前提や会計士・監査工数の不足です。追加資金を払う用意がありますか?

こんなことを言うと、海外の資金が日本に集まらないという意見もありそうですが、儲かる企業、成長する企業で期待されているのであれば、お金を出したがっている人はたくさんいると思いますけどね。そもそも監査なんてインフラコストであって株式売買の本質ではないし、日本企業はなんだかんだで優良ですし。