私が監査法人を辞めた理由 2nd

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やめた理由の続き

前回、私が監査法人を辞めた理由という投稿で、監査法人をやめた理由を整理してみました。

そこでは、どちらかというとネガティブな理由を散りばめることになってしまいました。

しかし、実際にはポジティブな理由(というか、自分の価値観の変化)もあったりしたので、続編となる今回の投稿で、それを記載することにしました。

 

自分の変化① 大きな組織内で勤務することに対する違和感

私はかねてから大きな組織で働いてきました。

会計士試験に合格したあと、すぐに大手の監査法人に入社し、その後事業会社で勤務したときも、比較的大きな会社に勤務していましたので、いわゆる大組織における働き方が自分にとって自然な働き方になっていました。

その大組織における働き方の特徴は、以下のようなものです(個人的に感じたものです)。

■組織の都合が何よりも優先され、個人の主張や考え方が的を得ていても反映されないことが多い

■組織の価値観に沿うように洗脳が行われ、価値観に合わないものや能力的に追いつけないものは、やがて淘汰されていく

■最後まで組織に属することができるのは一部の者に限られる。そのために多くの時間やストレスを犠牲にする必要がある。必ずしも能力や才能は重視されるわけではないうえに、心身の健康を害するリスクをはらんでいる。

■仕事の仕方や考え方は、ある程度上司にあわせるしかなく、キャラ(個性)や考え方が合わない場合は、上司からえこひいき的に厳しく接されたり、いじめられたりもする

■パートナーになっても組織内の序列関係の支配からは免れない。自分が正しいと思ったことが全て通るわけではないし、理不尽な要求を組織から突き付けられ続けることもある。当然、組織から使えないと認定されれば、組織を退かざるを得ないことになる。

■部下がやたらと組織や上司に不満を持っており、その不満をぶつけたり話し合うのに大量の時間を使う

■その不満が理解できるなと思う中の一つに、上位階層の偉い人は、やたらと偉そうなことがある。自分がこの世界の支配者であるかのような振る舞いをする人間もいる。また逆に、毎日何かに怯え、しんどそうに、楽しくなさそうにしている上司が多い。

●一方で組織の歯車である従業員には一定の裁量が与えられつつ、毎月の給料は何もしなくても払い込まれる(法律である程度は守られている)

●チームとして動くことが多く、自分の能力で捌けない論点や業務を、チームメンバーの力を借りて解決していくことが可能になる可能性が高い。その過程でいろいろな気づきや反省点を得ることができ、結果として一人でやっている場合に比べて、自分を成長させることになる。

●ライバルや達成困難な仕事が沢山出現するため、これをこなすために切磋琢磨もしくは四苦八苦することで、結果的に自分の能力を飛躍的に高めることができる

例としては上記のようになります。

一応、●と■はプロコンを示していますが、内容については組織特有の項目ではないものも含まれていますね。

例えば仕事の仕方なんて、それこそお客さんにあわせたりもしなければいけないわけで、組織でやろうが個人でやろうが関係ないです。

完全に自分に都合の良いように動くなんてのは、ビジネスの世界ではありえないのではないかと思います。

さて、私も働き始めや20代の若いころは、このような組織における働き方について、

私も洗脳が解けていませんでしたので、当たり前だと思っていました。

当然に受け入れるべき、この世の真理であるかのように考えていました。

しかし、実際は、世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな価値観で働いていることを知りました。

そして、大組織の言うことが、必ずしも正しいとは限らないこともわかってきました。

こういう話をすると、フリーランスが一番いいとかそうでないとかいう話になりがちです。

しかし私は、組織で働かないこと、すなわちフリーランスが常に最も良いとは考えていません。

実はフリーランスというのは、限りなく自分のペースで事業を行えるものの、とてつもなく消耗する働き方です。

フリーランスの良いところを合理的に取り入れてコントロールできるようになるまでは、迂闊にうやるものではないと思っています。

現在、実はフリーランスに近い働き方をしていますが、完全フリーランスにはまだ少し壁があるかなという状況です。

まあフリーランスがまだ時期尚早だったとして、少なくとも大組織で働く時代は自分の中で終わった、もしくは大組織でない組織で働いてみることを経験するべき時期にきた、と自分のなかで判断するようになりました。

自分の変化② 時代の流れや変化を感じ始めた

加えて、私はかねてから時代の流れを読むということを重視しているのですが、

以下のような時代の流れ・変化を感じ始めたことが、私の背中を押しました。

大企業だから一生安泰であるという時代は完全に終わりつつあるが、その安泰ではない企業から、「あなたは是非組織に居続けてほしい」と言われているわけでもないことが、人生の大きな流れの中で、どういうことを意味しているか、よくわかってきた。

・サラリーマンという、よくわからない大組織の理屈にストレスをかかえこれに耐えながら、見せかけだけ安定的なサラリーを稼ぐ方法が、もはや時代遅れになってきている。そうではない新しい働き方についての経験を積む必要性を感じ始めた。

人生100年時代の本当の意味が、個人として自立できるかどうかにかかっているという意識が出てきた。必要なのは、納得感の無い作業に時間を使うことではなく、アイデアや創造性、共感力や自分らしさ、あるいはこれらの獲得にチャレンジし、失敗し、継続することではないかという感覚が芽生えてきた。

ITやネット環境の発達により、大組織にいなくても、ある程度のお金さえ払えば、たいていの会計や税務に関する情報は手に入るようになった。そのため専門情報を得るために組織にすがることが100%合理的ではなくなってきた。

・監査の建付けや保身のための調書作成ではなく、AIやRPAなど新しいテクノロジーに関するスキルや、自分が勝負していく領域で必要な技術を身に着けることにきちんと時間を使わないと、自分の時間単価はどんどん削られていくことが明白となってきた。また会計業務が新しいテクノロジーに置き換わっていくのが間違いない世界で、自分らしく能力を開発していくのに、どうしても自己投資(組織投資ではなく)に時間が必要になると感じ始めた

自分の家族や大切な人と過ごす時間はかけがえのないもので、人間としてこれを大切にすることが、自分や他人を大切にすること・人生100年時代の人生の在り方に繋がるのではないかと考え始めた

・上記の自分の感覚が間違っているならば、その時は入れる組織に入って、またやり直せばいいだけだというある種の開き直りが出てきた。またそうなったときでも何とかやっていけるだけのスキルは、何とか保持しているのではないかという自負もあった。

もし私が大組織に属し続けるべき人材であるならば、このような感じ方はしないと思います。

でも、実際はそのように感じてしまったということは、それは一度退職という形をとらないと、自分に対しても納得ができないなと思い、退職を決意しました。

いろいろな要因によりますが、キーワードとしては、自分らしく生きていきたいということです。

人生の時間は私だけのもののはずですし、そこは自己中でもいいと思うのです。