Contents
監査法人を辞めた理由って、なんだっけ?!
私が監査法人を辞めて、既に2年が経過しています。
当時、私は監査部門のマネジャーとして働いていました。
人と会うたびに、監査法人を辞めた契機について聞かれます。
その度に色々思い出して説明をするのですが、
時々、果て、何故私は監査法人を辞めたんだったかな…と思うことがあります。
行動理由を忘れる、見失うような感覚ですが、個人的にはこれはとても気持ち悪いことだと思っています。
なぜなら、これから将来の行動を取るときに、過去の動機を確認することがあるだろうと思っているからです。
過去の動機が不明確だと、自分の軸を見失い、将来の意思決定が混乱してしまうことを恐れています。
ということで、今回は監査法人を辞めた理由について、あらためて整理したいと思います。
仕事の内容
まず、私が辞める直前に監査法人でやっていた仕事の内容を羅列します。
監査
マネジャーとして監査チームのマネジメント。具体的には、クライアントと報酬の交渉、時間管理、クライアントからの質問対応、チーム内MTGの統括、審査とその準備、監査調書のレビュー、あるいは自ら調査作成。
事務所内や外部からのレビューへの対応
アドバイザリー・財務DD
マネジメント担当兼執行者として、顧客相談受付、調査の実行、調査の進捗状況管理、レポーティングとその準備、中間報告会、最終報告会にてクライアントとMTGなど。
その他管理義務
スタッフのアサインメントの調整と調整会議出席
事務所内イベントの幹事
人事面談
社内研修講師とその準備
など
ううむ…、思い出すと色々やってましたね。
私にとってはとにかく忙しかった記憶があります。
しかし、監査事業部の担当者としては、まあ一般的な仕事内容だったと思います。
やめた理由① 仕事の中身が・・・
ではなぜ、何が気に入らなかったのか。
それはまず仕事の中身にありました。
中身というのは、いったいこの仕事は、誰のためにやっているのかという部分、自分としての納得感の部分です。
特に監査。
最近の監査はかなり厳しいというのはよくある話ですけども、
私にとっては、その厳しさは基本的には監査法人の利益のためのもの(つまり、最終的には金融庁の利益のためのもの)であると感じられました。
利益というのは、組織の身を守ることです。
具体的には判断の根拠固めのために追加的な書類作成を行ったり、書類の形式を整えるといった作業です。
根拠や書類を整理しておくことで、不意の指摘にも主張をすることができます。主張をして、判断は正しかった、あるいは不備はなかったと、誰からも言われなければならないのです。
誤解の無いように断っておきますと、私はこれらの身の守りは、組織としては重要で、必要なことだと思っています。
というか、やって当然だと思っています。
何故なら、監査法人とそのパートナーは重い責任を負っているからです。
ある種、責任を負わされていると言ったほうがいいのかもしれません。
なので否定などできようがありません。
しかし、自分が監査法人やそのパートナーの身の守りのために知恵を使い続け、大切な人との時間を削り続け、休み日も働き、、、という状況、
また、クライアントのための作業が上記の例でいえば配色した箇所にしか発生していないという点が、
自分に正直に問うた結果として、受け入れがたいものになっていきました。
やめた理由② コスト・ベネフィットの観点
もし自分の時間を犠牲にした長時間労働が報われるなら、まだ救いはあるのかもしれません。
しかし、監査法人は組織であるため、報い、すなわち昇格の恩恵を受けられるとは限りません。
そして昇格できたとしても、パートナーになってから待っているのは、それなりに大変な生活です。
この話はまた別途できればと思うのですが、
コーポレートガバナンス強化の流れの中で、監査法人とそのパートナーの責任というのは非常に重く、toomuchになってきている印象がしています。
特に日本の場合、監査報酬が低いにもかかわらず、監査意見を提出することをなかば義務付けられていませんでしょうか。
はっきり言って、上場企業に対して、監査報酬が1千万円や2千万円では、現行の監査の制度・やり方を前提とすれば、まともな監査ができないこともあるのではないでしょうか。
いずれにせよ、内部昇格には多くの労働時間、大切な人との時間を犠牲にしなければならないことは自明であり、かつ最終ポジションとしてのパートナーに大きな魅力も感じなくなってしまったことが、私の背中を押したことは事実だと思います。
やめた理由③ 単に向いていない可能性
あとは、監査人という立場が、どうしても自分には向いていないのではないかという点も大きな疑問でした。
経験上、自分の死力を尽くして仕事をやっても、クライアントから感謝されることは少なかったです。
別にクライアントから感謝をされるために仕事をしているわけではないと割り切ることもできるのですが、たまに感謝されたときには、なんだかとても嬉しかったのを覚えています。
やはりやりがいという意味では、誰かの役に立っているという感覚は重要なのだと思います。
さてクライアントからの感謝を引き出せないことについては、自分の能力的な限界を感じるところである一方、そもそも「無理ゲー」なのではないかという意識もありました。
私は事業会社の経理を経験したことがあるのですが、同じことをやっても、所謂経理の人の反応は、まったく異なっていました。真摯に尽くせば、感謝をしてくれました。
つまり、顧客と同じ方向を見て仕事をするタイプの業務のほうが、自分には向いているのではないかという仮説が生まれました。
向いている/向いていないというのは、とても重要ではないかと。
とことんクライアントに付き合って尽くしていくということが、自分の仕事をするうえでの全体的なスタンスとして自然なのではないかと。
なので、シンプルに顧客と同じ目線にたてる仕事をやっていこうと思いました。
なんだか長くなってきたので、続きはまた別途投稿します。